宇宙の成り立ちについては、宗教的な観点からも自然の偶然からも、色々と論じられてきたよね。でもまぁそこらへんの議論は一旦置いといて、実際の宇宙を見てると、その美しさや広大さ、複雑な構造には感心する。宇宙を考えれば考えるほど、ますます感動しちゃう。
この感じってさ、神の力や仏の徳とかって言われることもあるけど、なんかそのレベルでも納得しちゃう気がするよね。宇宙に触れてその凄さを感じてても、それに名前がないのは何だか不便な気がするからさ。でもさ、僕は神や仏のことはよく知らないから、その言葉は使いたくないかな。
子供の頃から、人間の力じゃどうしようもないことに出くわすと、「天なり」「天道なり」とかって、天地自然によるものとして流してきたよね。今、仮に、「天」って字を使って宇宙のことを表現するとしたらどうかな。「天」ってのは、青空や太陽みたいなものじゃなくて、人間の理解を超える不思議な存在のことを指してると思うんだよね。
地球の山も海も、実は地球上の一部でしかないし、地球だって太陽の周りを回ってる小さな星の一つに過ぎないんだ。太陽も、ただの星の一つなんだよ。
星の数は無数で、数えることすらできないよね。銀河が白く見えるのも、たくさんの星が重なってるからで、ちょっと遠くから見た松の木みたいなものだよ。
それで、銀河の話が終わったかと思ったら、ちょっと離れたところに、スペクトルっていう白い痕跡が見えるんだ。それも、私たちが見てる星と同じ仲間なんだろうね。距離を考えると、何百万光年もかかることもあるってさ。だから、今見てる星は、実は百万年前の光が今届いてるってこともあるんだよ。
大自然ってやつ、本当にすごいんだよね。言葉じゃうまく表せないし、細かいところまで文章にするのも無理だ。普通、大海の鯨はでかくて小川のエビは小さいって言うけど、実はそのエビをもっと小さいものと比べたら、エビだって実は大きいってこともあるんだ。一滴の液の中には、何億もの細菌がいるし、その中身を見れば繊維だってあるし、なんか栄養生殖の器官もあるかもしれない。もし、微生物を明らかにする新しい方法があったら、今の細菌の中にはもっとたくさんの動植物がいるかもしれない。その細菌が本体だと思ってたものが、いつの間にか大きな生物になってたりしてね。
微妙なものや小さいものが、どこまでも無限にあるんだよ。でも、一番すごいのは、それを支配してるのが一度も間違ったことのない自然法則だってこと。考えても解決できないこの事実を、何度も考えてみても、結局は人間の限界を感じるだけだろうな。
訳者コメント
手塚治虫「火の鳥」で描かれたような、マクロの無限とマクロの無限、そしてそれを主る普遍の法則について思いを馳せた一説。
今でこそ理解しやすいが、驚くべきなのはこれが書かれた年代。実は1896年(明治29年)である。どれほどの教養があれば、当時にこの発想をできたのだろうか。
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